司葉子 - 『日劇ラストショウ』
司葉子

85年間続いた日劇(東京・有楽町)が、2月4日、ついに閉館される。
そのフィナーレを飾る上映イベント「さよなら日劇ラストショウ」が2月4日まで開催。
初日の1月27日は、黒澤明監督の『用心棒』(1961年公開)が上映され、同作に出演した司葉子(83)がゲストとして登壇。世界的巨匠・黒澤明監督や三船敏郎らとの思い出を語った。

日劇85年のあゆみ

1928年着工・1933年オープンに始まって、日本の多くの演劇・映画の歴史を営んできた。戦前はエノケンの『エノケンの突貫サーカス』が登場。以後、日劇を代表するキャストとなる。
戦争中には一時的に風船爆弾工場になったりもした。戦後はNHK紅白歌合戦の舞台となったり、日劇ウエスタン・カーニバルの常設劇場に。その頃は、日劇上部に巨大ネオンが登場し、銀座の名物ともなった。
1978年6月24日には、『スター・ウォーズ』第一作が上映され、以降、日本のスター・ウォーズファンの聖地ともなった。

完成当時(昭和8年)の日本劇場
完成当時(昭和8年)の日本劇場 (C)TOHO CO., LTD. All Rights Reserved.
1958年ネオンの王冠を戴いた日本劇場
1958年ネオンの王冠を戴いた日本劇場 (C)TOHO CO., LTD. All Rights Reserved.

本番で厳しかった黒澤明監督

司葉子は、『用心棒』(1961年公開)で黒澤明監督作品に初出演。当時の俳優は誰でも黒澤明監督作品に出たいという憧れを持っていたが出演が叶うまで時間がかかったとも。当時、事務所からは、黒澤監督作品は拘束期間が長く1年以上かかるので、「売り出し前の葉子ちゃんはダメなの。わかった?」と諭されたエピソードを語った。
黒澤明監督については、
「黒澤監督はすごく優しい方なんですよ。初めて黒澤作品のセットに入った時、私を抱えるようにして招き入れてくれました。ところが本番になると鬼みたいで。ほんとに厳しい厳しい監督でした。(監督作品の常連俳優さんたちも)監督の目を盗んでブツブツ言ってました(笑)」
それを象徴するエピソードとして、当時、三船敏郎が、成城にあった黒澤監督の自宅前にオープンカーで乗り付け「バカヤロー!!」と怒鳴り込んだことがあったと明かした。

青木眞弥(キネマ旬報 編集長)/司葉子 - 『日劇ラストショウ』
青木眞弥(キネマ旬報 編集長)/司葉子 – 『日劇ラストショウ』

山田五十鈴の演技に触発されて

『用心棒』では、ちょっと殴られておしまいというだけの出演だった司葉子だが、殴った俳優は山田五十鈴。その演技は怖くて鬼みたいに感じたという。だが、それが逆に演技とはこういうものだとその時開眼して、「いつか私もこういう演技をやってみたい」と思うようになったという。
その後、中村登監督『紀ノ川』(1966年)に主演し、岩下志麻演じる娘が言うことをきかないのでほんとに怒って、道端を走って逃げるのを裸足で追っかけてブッて怒るシーンがで、山田五十鈴の(『用心棒』での)演技を思い出して、それになり変わる気持ちで演じたという。
そして、『紀ノ川』では、司葉子は、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞している。

司葉子 - 『日劇ラストショウ』
司葉子 – 『日劇ラストショウ』

日劇の想い出

鳥取県の学生だった当時、「修学旅行で東京に来て初めて日劇をみて感動した」と語る司葉子。
映画界に入った当時、変な虫がつかないようにと笠置シヅ子さんのところに預けられていたとも。
笠置シヅ子といえば『東京ブギウギ』。戦後すぐの1945年11月から日劇に出演し、日劇の発展に大きく寄与した一人だ。司葉子自身も一度、日劇でお芝居の舞台に立ったことがあるが、今はあまり覚えていないんですけどねと笑顔で語った。

日劇スピリットは日比谷に受け継がれる

2月4日で、日劇は85年の幕を閉じるが、その“日劇スピリット”は、日比谷で受け継がれる。
“映画の宮殿 ザ・ムービーパレス”をコンセプトに、都内最大級となる13スクリーン約2800席の「TOHOシネマズ日比谷」が、3月29日(木)にオープンする。
東宝グループ創業の地として、日比谷の映画・演劇の歴史を継承しながら、東京宝塚劇場、シアタークリエといった演劇の劇場と一体になり、日本が世界に誇れる映画・演劇の街、“HIBIYA・ブロードウェイ”を目指す。

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[写真・記事:Jun.S]