海辺の生と死 - 東京国際映画祭

満島ひかり 怖いくらいに自分をさらけ出した

満島ひかりが「私には奄美大島の血が流れていて、怖いくらいに自分をさらけ出して演じられた」と語った映画『海辺の生と死』(2017)。
奄美大島が舞台であるこの映画に出演することで、“私にとって演ずることはどういうことか?”を満島ひかり自身が深く濃く語ったトークショーの内容を写真とともにたっぷりとお届けする。
東京国際映画祭第30回記念特別企画「Japan Now 銀幕のミューズたち」として。

映画『海辺の生と死』作品情報
2017年7月29日公開
主演:満島ひかり(大平トエ/モデルは島尾ミホ)
監督:越川道夫

物語
太平洋戦争末期の奄美群島・加計呂麻(かけろま)島で出会った島尾ミホ・島尾敏雄夫妻をモデルにしている。
作品名は島尾ミホの同名小説から取られており、島尾敏雄の『島の果て』なども原作とされている。

トークショー

2017年10月27日(金) TOHOシネマズ六本木 SC2
登壇者:越川道夫監督、満島ひかり、安藤紘平(MC)

これまで“自分”を出し切れていなかった

満島ひかり
こんにちは。満島ひかりです。
今日は東京国際映画祭での上映ということでいつもと違うのかなぁと。人がいっぱいで良かったです。(ここに来るまで)不安でした。

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

越川道夫監督
東京国際映画祭でこの映画を上映してもらえることをほんとうに光栄に思っています。

安藤紘平(MC)
東京国際映画祭のオープニングセレモニーで満島さんが素晴らしいお話をされました。
「周りの自然とかいろんなものをできるだけ多く感じて、少なく表現する」
今日の映画『海辺の生と死』を拝見するとまさにそれですよね。

満島ひかり
私は大胆なことも好きですけども、お芝居とか表現したいことが細かすぎることがあって、なんにも伝わってないんじゃないかなと思うことがいつもあるくらいです。

安藤紘平(MC)
越川監督は最初からこの映画は満島ひかりさんを?

越川監督
脚本を読んだのは昔で、僕の師匠の澤井信一郎監督も昔やりたがっていました。ずっと構想し続けていたってことではないんですが、いい映画になるだろうなとは思っていました。
満島ひかりさんとお会いしたのは、僕がプロデューサーをやった『夏の終わり』(2013)だったんですけど、その頃からトータルで3回くらい満島さんに映画出演の話をしてたようです。このへんは、満島さんとは若干食い違うんですが(笑)
自分の妄想にすぎなかったこの映画が満島さんっていう女優さんでしか考えられないような形で具体化していったんだろうなぁって思います。

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

安藤紘平(MC)
どう食い違ってたんですか?

満島ひかり
え?いつそんな話を聞いたっけ?と思って(笑)
私は二十歳くらいから映画に出させていただいてますけど、20代の最後にもう少し自分の中に眠っている何かを開放できるんじゃないか。それは、自分の中に持っているもののうち、ほんの少ししか映画の中でできていない気がいまだにしていて。
もうちょっとだけでも(自分を)出せる映画がないかなぁとか考えていた時に、越川さんから話をいただいたんです。それはちょうど島尾ミホさんの話で、奄美大島の話で、私の中に奄美大島の血があるので、ちょっとふだんとは違うようなことになるんじゃないかと思って。
(いつもは)東京の話で、東京弁で芝居してるじゃないですか。どっかウソっぽいんですよ。やっぱ私はもともと方言の人なので。なんかちょっと作っているところがあって。少しだけ膜がはっているところがあって。この膜をもっと取り払えるんじゃないかと期待しました。

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

“満島ひかり”自身を描いた映画

安藤紘平(MC)
そういう意味で言ったら本当にすごい映画で、“大平トエ”の話ではなくて、“満島ひかり”の話って感じがします。つまり、演じているって言葉もなんか変な感じがするくらいに。

越川監督
ぼくらもそうなんですけど、特に満島さんはそうだと思うんですが、なんか一人の人間というよりは、島と溶け出しちゃう感じがするんですよ。あそこ(奄美大島)にいると。
そう感じながら僕も撮ってたし、島のことをよく知っている満島ひかりさんにとってはもっとすごかったんじゃないかと思うんです。
一人の人間を描いて演じているというよりは、その場所とか、そこで生きてきた人(死んだ人も含めて)と混じりあっているような。
“大平トエ”っていう人物を演じているんですけど、“大平トエ”じゃない。それはもう満島ひかりでもあるし、おばあちゃんでもあるだろうし、今いっしょに島で生きている人たちでもあるだろうし、それは人間だけに限らないわけですよ。
なんか同化していっちゃうような、溶け出していっちゃうような、不思議な感覚が僕自身もあったから、満島さん自身はもっとあったんじゃないかな。

安藤紘平(MC)
満島さんはどうでしたか?

満島ひかり
そうですね。奄美大島で撮影していると、なんだか自分自身になっていく感じがありました。

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

自分をさらけ出すようで怖かった

安藤紘平(MC)
自分自身を全部さらけ出してしまって怖くなかったですか?

満島ひかり
怖かったです。
映画を観ている人たちが、どういうふうなものを俳優たちに求めているのかとか、映画に求めているのかっていうのはわかんないけれど、撮影している場所(奄美大島)ってのはぜんぜん華やかじゃなくて、もっと土に近くて空に近くて。そういう場所でいつも撮影をしていて。
東京では、ちょっとめげそうな時に、衣裳さんとかに、「満島、とりあえず空を見上げろ。空は裏切らないぞ」って言われて空を見上げて「ヨシ!」ってなることがあるんですけど、奄美大島に行っちゃうともう全部が自然なので、その中に自分がいて、いつも自然を味方にしてどうにかしている自分が、あまりの大きな自然の中にほんとに吸収されすぎちゃって、なんかおかしいことになっているんじゃないかとか、こんなのカメラの前でやっていいのだろうか?とかっていうような感性がどんどん出てくるっていうような感じがありました。

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

安藤紘平(MC)
この映画を観ていてると、カメラの前でやっている感覚がぜんぜん感じないんですよね。
それこそさっきおっしゃってた、周囲がすごい自然でそれを全部受け止めて、空気も光も含めて。
それで、表現はセリフというのではなくて、その時思ったこぼれ出るような言葉とか、表情とか・・・

満島ひかり
ため息とか、呼吸とか、吐息のひとつに近いものがセリフだと思うので。だからどれだけ感じられて、どれだけ息を吐けるかっていうのがほんとに大切で。あまりにも感じられすぎて(笑)

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

越川監督
表現者ってことだけじゃなくて、周りで鳴っている音とか、海の近くでも撮影してて、海のコンディションとかが揃ってこないととか。
例えばこの映画の最後に、別れをするところの長い長いカットがありますけども、あれは7テイク目なんです。6テイク目まで一度も最後までできてないんです。それは、芝居の問題というよりは、いろんなコンディションが揃わないと最後まで通ってくれないんです。

満島ひかり
そう、ちょっと音が違うとか。

越川監督
ぼくらもわからないんですよね。なぜこれが通らないのかっていう理由が。いろいろ言ってみたり試してみるんですけどわからないんですよ。

「お仕事」ができない

満島ひかり
これはダメなことかもしれないですけど、私はよくドラマとか映画とか出てますが、(演じている途中で)できなくなると止まっちゃうんですよね。よくあるんですが。なので、「とりあえず続けろ!」ってほんとに怒られます。
バミリってよく言われる立ち位置がどうしてもずっと守れないし、守ろうと思えばできるんだけど、「今(ここに)いたい!」とか、今起こっている衝動に従いたいっていう本能の方が先走っちゃう時があって、どうしても「お仕事」ができない。
まぁ、できるんですけどね(笑)

安藤紘平(MC)
「お仕事」っておっしゃった、まさにそれなんですよ。「お仕事」でしている人(俳優)が多すぎる。はっきり言うと。
今、満島さんがおっしゃったのが(俳優として)正しいと思うんです。
監督によっては、決めた段取り通りにちゃんとやらないとってのがあるんだけど、実は本当にそれが正しいのかどうか?
今おっしゃったような「できなくなったら止まる」っていうこと、すごく大事だと思います。

満島ひかり
難しいんですけど、その、なんか、コントロールされるのはいいんですよ。たとえば、三口食べて立ち止まれとか。
それはすごくいいし、監督の世界ですから。コントロールされるのはいいんです。
けど、自分で自分を本番の中でコントロールしなきゃいけないのは心苦しいなっていつも。。

海辺の生と死 - 東京国際映画祭

安藤紘平(MC)
コントロールするってことは、ある種の段取りの中で動くことでしょ。そうなった瞬間にやっぱり僕はいけないと思いますけどね。

積極的迷子

越川監督
この映画は全体がそうだと思うんですけど、ぼくも満島さんもそういうことを考えているので、最後にどうなるかってわからないところもあったんですよ。
いろいろ考えますけど、青写真通りにやりすぎて、コントロールが効きすぎてしまったら、やっぱりダメなような気がしたんです。この映画は特に。だから、ある芝居をしてて、それがあとあとどういうことになるのか、っていうのは、案外積極的に迷子になっているので、

満島ひかり
うふふ(笑)

安藤紘平(MC)
(笑)

越川監督
わからないまま僕らは芝居を作っていて、その5シーンくらい先に進んだときに「あ、ここにつながるんだ!」っていうような発見をずっと現場を通してやるっていうような。
もちろん、計画してるところはあるんですよ。だけど比較的、満島さんとはこの映画ではそれ(積極的迷子手法)をやっていたような気がします。それは奄美大島がそうさせた部分もあるんです。

満島ひかり
私は音楽グループでデビューしているので、振り付けを覚えるのがすごい得意なんですね。
ユニゾンでみんなで合わせてまったくおんなじ動きをするののもすごい得意だし、音楽のこの音程で歌わなければいけない曲があるとかもそう。
でもその英才教育みたいなのを受けてきたからこそ、積極的迷子を自分の中で恐れないっていうか。
だって、何もやってきてなかった人が積極的迷子になるとたぶん、ただの迷子になっちゃうでしょうし。

なにをやっていたのかわからないくらいに疲れている

客A
お芝居の世界に入っている時でもふと本来の自分に戻る瞬間ってのはあると思うんですけど、その切り分けのノウハウってのは何かあるんですか?

満島ひかり
私は、たとえば、ご飯を作っている自分とおトイレにいる時間の自分って違う自分だという考え方なので、人の無駄な時間とか、ヒマな時間とかを考えて組み立てていきます。
なので、ノウハウっていうよりかは、映画の画面の中にいる瞬間の方が、もしかしたら素の自分なのかもしれないと思うことはあります。
ふだん生きている社会のマニュアルだとか規則に従って、たとえば道の真ん中は車が通っているから歩いちゃいけないとか、そういうことをガマンしている自分の方が、お芝居がかっているのかなぁって思うときはあります。

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客A
お芝居が終わった時はどうなっているんですか?

満島ひかり
もう信じられないくらい疲れている時はあります。なにをやってたのかわからないくらいに。
演じている時はなんかこう自分の内部で宝探しをして、あ、ここだった!って思って、引っ張って引っ張ってそれを出して、筋肉とかにもここだよ!今日はここ、右!とか。
違うシーンになって、あれ?あ!太ももの裏!ここだここ!って引っ張り出すから、終わった後に足がすごいつっていたりとか、そういうなんかわけわかんない現象は確かに起こるなって(笑)
まぁ、夢中なので、とにかくその時々は。すごいエネルギーを使っていると思います。だから太れないですね(笑)
(会場笑)
太った役とかやりたい(笑)なんかグラマーな女の人とかなってみたいけどぜんぜんならないのがすごい悩みです(笑)

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[写真・記事:Jun.S]

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