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映画『風たちの午後』

「女の子が女の子を好きになる」。今の時代だからこそ観るべき映画『風たちの午後』初日舞台挨拶

40年ぶりにその封印が解かれる! 矢崎仁司監督幻のデビュー作『風たちの午後』

今の人に観せるべき映画

映画『風たちの午後』

伊藤こうこ/矢崎仁司監督/綾せつこ

LGBTやストーカーという言葉がまだ存在していなかった40年前、「女の子が女の子を好きになる」というセンセーショナルな『風たちの午後』という作品が日本から生まれたことは世界中に衝撃を与え、ヨコハマ映画祭自主製作映画賞に輝き、エジンバラ国際映画祭、モントリオール世界映画祭などいくつもの海外の映画祭を駆け巡った。
しかし、矢崎仁司監督のデビュー作である本作は、音楽の著作権問題で上映ができず、長い間封印されてきたが、今般、 国内外からの熱い上映オファーとファンからの支援を受け、デジタルリマスター版として奇跡の修復が実現。その公開初日舞台挨拶が行われた。

3月2日、新宿K’s cinemaで行われた舞台挨拶には、矢崎仁司監督、綾せつこ(夏子 役)、伊藤こうこ(美津 役)が登壇。
40年前の撮影当時を振り返ると共に、リマスター版作成にあたってのアフレコの苦労などを語った。
その中で、矢崎監督は、今回のリマスター版作成を承諾したのは、“この作品を今、矢崎さんが撮るとしたらどうなるか?”と言われたことで、次の新作に繋がることを感じたからだという。
実際、完成後に小説家・保坂和志から「この作品は今の人に観せる映画だ」と言われて、すごく嬉しかったと共に、リマスター版作成の決心をしたことが正解だったと確認したという。
(本記事後半に、舞台挨拶詳細レポート)

映画『風たちの午後 デジタルリマスター版』

見えない恋、聴こえる愛

世界を席巻した伝説のフィルムが40年の時を経て蘇る―

2013年にカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した映画『アデル、ブルーは熱い色』、2015年の話題映画『キャロル』、そして昨年世界中でスマッシュ・ヒットを記録した映画『君の名前で僕を呼んで』など、昨今ではLGBTを題材にした作品が日本国内でも若い世代を中心に注目されている。
今から遡ること40年、当時日本はおろか世界でも恋愛の形が閉鎖的であったこの時代に、20代になったばかりの青年・矢崎仁司はテーマや題材を特別に意識することなく、自由な発想で映画『風たちの午後』を仲間たちと撮った。
「女の子が女の子を好きになる」というセンセーショナルな作品が日本から生まれたことは世界中に衝撃を与え、ヨコハマ映画祭自主製作映画賞に輝き、エジンバラ国際映画祭、モントリオール世界映画祭などいくつもの海外の映画祭を駆け巡ったのだ。
しかし、そのデビュー作も音楽の著作権問題で上映ができず、長い間封印されてきた。
今般、国内外からの熱い上映オファーとファンからの支援を受け、デジタルリマスター版『風たちの午後』として奇跡の修復が実現。伝説の映画が40年の時を経てスクリーンで蘇える。

STORY

美津の誕生日。
夏子はお揃いの乙女座のネックレスとバラの花を買って来る。
しかしアパートの窓には白いハンカチ。それは美津の恋人・英男が来ている合図だった。
ひそかに美津を愛してしまった夏子。
彼女を独り占めしようと思うがゆえに英男に近づく夏子は・・・
真夏の午後、世界を震撼させた衝撃のラストが―

出演:
綾せつこ・伊藤こうこ(伊藤奈穂美)
阿竹真理・杉田陽志

監督:矢崎仁司
脚本:長崎俊一・矢崎仁司
企画:三谷一夫 プロデューサー:平沢克祥 長岐真裕
撮影:石井勲・小松原淳 録音:鈴木昭彦・吉方淳二
編集:中島吾郎・石沢清美・目見田健
音楽:信田和雄・阿部雅志・内田龍男・矢野博司・BOOZY
制作:追分史朗・長崎俊一
協力:ヨコシネD.I.A.・草野康太・原風音・本間淳志・戸丸杏
宣伝美術:林啓太・矢島拓巳 WEB:徳永一貴
製作:ABCライツビジネス・フィルムバンディット・映画24区
宣伝・配給:映画24区
公式サイト:http://kazetachinogogo.com/

映画『風たちの午後』

映画『風たちの午後』

映画『風たちの午後』

映画『風たちの午後』

3月2日(土)よりK‘s cinema、3月9日(土)よりアップリンク吉祥寺ほか全国順次公開!

舞台挨拶レポート

40年ぶりにリマスターされた本作。これは“今観るべき映画”。

映画『風たちの午後』

伊藤こうこ/矢崎仁司監督/綾せつこ

矢崎仁司監督
40年前に作った映画を今こうして皆さんに観ていただけるのが、ほんとに恥ずかしいような、すごく嬉しいような感じです。ありがとうございます。

映画『風たちの午後』

矢崎仁司監督

綾せつこ(夏子 役)
今回この映画を蘇らせてくださったスタッフの皆さんに深く感謝いたします。

映画『風たちの午後』

綾せつこ

伊藤こうこ[旧 伊藤奈穂美](美津 役)
40年ぶりということで、その後の美津がどうなったか?
ということで、リアルに40年後の実物が来たということで(笑)、皆さんが想像していただいたのとどのように違うか、または想像どおりだったか、楽しんでいただけたらなと、今日は参りました。

映画『風たちの午後』

伊藤こうこ

“観ることを強いる映画”を作りたかった

– 40年前を振り返って撮影エピソードがありましたら教えてください。

綾せつこ
当時の監督は、洗いざらしのジーンズと白いシューズ、タータンチェックのシャツを着て撮影をされていました。
颯爽たる青年で、非常に爽やかな撮影現場だったことが印象深く残っています。

伊藤こうこ
この映画を観た方が第一に思うのは「セリフが聞こえない」と。でもこれは私のせいじゃない(笑)
映画批評でもずいぶんそういうことも言われたんですけど、現場でもセリフにならないようにセリフを言うみたいな。
(矢崎監督が考える)ちょうど良いのはどのへんなのか?というが最後まで手探りでした。
そして、最後に試写を観た時にやっと納得がいく感じでした。

– 当時の資料で「音の小ささを追求した」というのを拝見しましたが、その狙いを教えてください。

矢崎仁司監督
(当時の自分は)尖ってたんですよね。
今もあまり変わってないですけど、当時も黙って(劇場の座席に)座れば電気が消えて、目をつぶっててもだいたいストーリーがわかるような映画が多かったので、“観ることを強いる映画”を作ってみたかった。
映画館のロビーのソファに座って待っている時に、劇場から漏れてくる渡哲也さんの声とかも大好きなんですけど、自分の映画に関してはすごい静かで、ロビーのソファに座ってるだけじゃ気になって何をやっているんだろうみたいな、そういう映画があってもいいなって思って。

リマスター版作成にあたってアフレコの苦労

– 40年ぶりに作品をご覧になった率直な感想を教えてください。

綾せつこ
恥ずかしいの一言です。
今回アフレコをしたんですが、とても大変でした。
声帯が衰えて声も低くなっているので、当時のオリジナルのトーンに持っていくっていうのが、非常に大変でした。
録音ブースでは、私独りで誰も見ていないので、咬筋を上げて、口の端も上げて、鬼のような形相で(笑)、夏子さんのあの可愛らしいセリフを一生懸命言いました。

伊藤こうこ
撮影当時は、「なんかよくわかんないなぁ」ってとこもありましたが、その後40年間、矢崎監督の作品を最新作まで観ていく中で、監督に対する理解が深まったおかげで、40年前より「風たちの午後」を理解することができたなと思います。
アフレコに関しては、20代の皮を被った老年のおばあさんが、英男さんという若い男の子を相手にしてるのは、自分としては気持ちが悪いものになったなと(笑)

フィルムってやっぱりすごく綺麗

– 40年ぶりのデジタルリマスター版製作ということで当時気づかなかった新たな発見というものがありましたら教えてください。

矢崎仁司監督
元々フィルムで撮っていて、今回ネガから起こす作業をしたんですが、すごい綺麗(な映像)なんですよ。
ディテールがしっかり写っていて、やっぱりフィルムってすごいなぁって感動もしたんですけど、(そのままデジタル化すると)当時の印象よりももっと綺麗になってしまうので、そこを撮影の石井さんが当時の印象を崩さないように仕上げてくれました。

ラストシーンに込めた想い

– ラストシーンに込めた想いを教えてください。

矢崎仁司監督
もともと、沖縄から東京に上京してきて、中野のアパートで餓死したっていう三面記事が出発の部分であるので、餓死という死に方の強烈な意思みたいなものをなんとか“絵”にしたいなって思ってたので、敷き詰めた花に夏子を埋(うず)めたかったというのは思っていました。

– その撮影の時は、綾さんはどのようなことを考えていましたか?

綾せつこ
ラストシーンは薔薇の花をいっぱい用意してくれると聞いていたので楽しみにしていましたが、この映画は毎日毎日、淡々と撮っていて、ラストシーンも同じく淡々と撮ったという印象です。

リマスター版は、次の新作の滑走路に。

矢崎仁司監督
フィルムは年月と共に滅びるもので、リマスターとか、僕はそんなに興味が無くて新しい映画を作りたいと常に思っていました。
でも、私の映画史の中で、この作品だけ観てないって人が多くて、いろんな人が観たいという声も聞いていました。
そんな中、映画24区の三谷さんからこの話をいただき、「今、矢崎さんが『風たちの午後』を撮るんならどんな風に撮るんだろう。」と、今後の展開のきっかけ、滑走路としてリマスターしたいっておっしゃってくれたので、次の作品に続けられるんであれば、じゃぁ、やりましょうと思いました。
実際、数日前、このK’s cinemaで朝、まだ開館前に試写をしていただいて観終わったらやっぱり、「あぁ、やっていただいてほんとに良かったな」って思いました。
友達で小説家の保坂和志も、僕に「これは今の人に観せる映画だよ」って言ってくれて、40年経ってもそんなふうに言ってもらえたことがすごく嬉しくて。
皆さんも、このリマスター版を滑走路にして僕の次の作品を期待してください。
でもこの映画もちょっと応援してください。
最近、こういう映画が少ないかなって思うし、皆さんが応援してくれないとこういう映画がたぶん無くなっていくので、よろしくお願い致します。ほんとに今日は来ていただいてありがとうございました。

映画『風たちの午後』

矢崎仁司監督

映画『風たちの午後』

伊藤こうこ/矢崎仁司監督/綾せつこ

絶賛コメント到着!

映画監督 山戸結希(『溺れるナイフ』『21世紀の女の子』)

映像における文学性の発露を眺めているうちに、
痛みの感覚が身体の中にいつの間にか広がってゆき、
この映画と分かち難い季節をかつて生きていたかのような、
純真な錯覚に目覚めてゆく。
24歳の矢崎仁司監督に、
いちばん望まれるべき未来があることだけを願いながら。

山中瑶子(映画監督/『あみこ』『21世紀の女の子』)

もしも日芸6年生の矢崎仁司が同級生にいて、
こんなの先に撮られてしまったら、わたし映画作れないかも。40年前で良かった…。
すべてに終わりをもたらす死と同じように、
「映画も滅びゆくもの」と矢崎さんは言うけれど、
それはまだ少し先のことで、良いですよね。

金子由里奈(映画監督/『21世紀の女の子』)

正直、風景に溶けてしまいそうな役者達の小声に最初は戸惑いました。
どうしても言葉を探してしまう事をこの映画は疑うのです。
私はただ、息を潜めて観ていました。
ハンカチの揺れを、ライターの目的地を、
1つの傘に小さく収まる2人の愛を。
きっと、いつになく張り詰めた映画館で、
この時間を多くの人と共有するのが楽しみです。

安藤政信(俳優)

人が人を おもう事
人が人に 惹かれ欲しがる感情
純粋で人間の自然な事
愛が動機ならやっちゃいけない事は一つもない
その感覚の矢崎仁司を
愛している

池田エライザ(女優)

湧き上がる言葉たちが、唇の裏まで来てはそっと消えていく。
今を生きる私が、彼女たちに言えることなど何一つないのだ。
純度の高い”美” その危うさに、指一本触れることもできぬまま、
私の中の正しさという概念はゆっくりと崩落していく。
人生の中でこの刹那に触れられたという事実に感謝を述べたい。

保坂和志(作家)

この映画は筋を説明したらきっと無理だらけだ。
しかし映画を観れば、
その無理が奇跡的に成功していると、きっとみんなが感じる。
この映画はレズビアン映画では全然ない。
そういう表面の筋に囚われずに観ればこの映画は、
監督と主演女優にとって未知の土地と言ってもいい映画に、
ただ勇気と愛だけを信じて踏み込んだ!
その勇気と愛に今回、僕は心を打たれた。
いまの自分があるのは、
あの頃こういう映画を撮った友達が何人もいたおかげだと思った。

ヴィヴィアン佐藤(美術家・ドラァグクイーン)

硬質さと純粋さを併せ持つ原石。
優しい雷鳴のような聲や乱反射する光と陰翳のあや、
全部を閉じ込めてしまった記憶であり未来。
午後の光が屈折し射し込む鉱石の薄片の大海に、
滑走する船上の自分を見た。

新井卓(写真家・美術家)

恋人たちが、きれぎれの電話線を手繰って、愛を交わした時代。
吹きわたるフィルム粒子の風に耳を澄ませながら、
かつてそこにあり、そして今も変わらぬ、わたしたちの孤独を想う。

小谷実由(モデル)

自分の中で根底的に考えていたことと、矢崎仁司監督の思いが、
この105分の中で交じり合ったとき、
うっすらと答えの輪郭が見えたような気がした。
その答えを言葉にするのは難しい。
人間という生き物の愛し方は何通りあるのだろう。

島田大介(映像作家・写真家)

人を愛するというあまりにも純粋であり
今にも壊れてしまいそうな感情を誰しもが一度は抱いたことがあると思う。
それは性の話だけではなく人間の持つ愛するという普遍的な心を
矢崎監督は繊細に時に狂気を持って描きたかったのではないだろうか。
幻のデビュー作にして次作、三月のライオンに通ずる矢崎監督の秀逸な描写、
音による演出によってその時代の空気を紛れも無く肌に感じる作品。

荻野洋一(番組等映像演出/映画評論家)

2018年、オーソン・ウェルズ『風の向こうへ』。
そして2019年、矢崎仁司『風たちの午後』。
風の筆で書かれた2つのまぼろしが、
共に40年の歳月をへて、立て続けにその封印を解かれた。
この時ならぬ連鎖が映画史的事件であることを、
私たちは、いまだ知らない。

[写真・記事:Jun Sakurakoji]

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